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「千葉城跡・武蔵使用の井戸跡」
細川家に仕えた武蔵は千葉城跡(現在のNHK熊本放送局)の一角に住んでいた。この敷地内の前庭奥に「武蔵使用の井戸跡」が残っている。
● 熊本市の中心地。熊本城電停からお城をみて右側のうまや橋を渡りそのまま坂道を上がる。熊本城稲荷神社を左にみて進み、右に出てくる一本目の角をを右へ。NHKの入り口の坂を上がって玄関前庭の右手。




「霊厳洞」
武蔵が死の直前までひとりきりでこもり、「五輪書」を書き上げた霊厳洞は、金峰山西の岩殿山・雲厳禅寺の中にある。この寺は室町時代の始頭に中国の僧東陵(とうりょう)によって建てられたもので、武蔵はここでなんども座禅を組み、武士道に通じる禅の修行を行なったとされる。 霊厳洞での修行のきっかけは忠利の死への深い失望であったようだが、武蔵がここで著述した「五輪書」は武蔵の二天一流兵法の極意書であり、日本だけでなく海外でも多くの人に広く読まれている。また、武蔵の臨終(正保2年-1645)はこの霊厳洞であったという説と千葉城であったという2つの説が残されている。どちらにせよ武蔵は自らの死期を悟り、ここ霊厳洞で「五輪書」を書いたといわれている。

●左上 霊厳洞入り口付近
●右上 下から見た霊厳洞 
●左下 雲厳禅寺からの眺め。
ここから熊本城まで徒歩で約1時間半。
● 交通センター23番のりばより 芳野経由河内行きのバスに乗車 (約35分)。
岩戸観音入口下車、徒歩約20分。
施設利用時間: 8:00−18:00  休日 なし  入場料金:大人¥100、小人¥50
所在地: 熊本市松尾町平山589 /TEL 096-329-8854
*霊厳洞へ行くには熊本交通センター発・武蔵コースのご利用 が便利です。




「島田美術館」
武蔵の研究と顕彰を続けた故・島田真富氏のコレクションが素晴らしい貴重な美術館。武蔵の肖像画や武蔵の手による書画、ゆかりの武具などの遺品を常設展示してあり、武蔵の秀でた画才を見ることができる。武蔵の生涯や人物像を知るためにぜひ足を運んでみたい。周囲の深い緑と調和した素晴らしい空間であり、敷地内にはギャラリーと、素敵なカフェも併設されている。
●左 ギャラリーとカフェ「ててっぽう」
●上 島田美術館 
【所在地】 熊本市島崎4−5−28/駐車場あり
【TEL】 096-352-4597
【交通アクセス】
交通センター9番のりばより荒尾橋行きバスに乗車(約15分)慈恵病院前にて下車、徒歩約5分
【施設利用時間】9:00−16:30
【定休日】水曜日(祝日の場合は開館)12月26日〜1月4日
【入場料金】大人¥500、大学・高校生¥400、中学・小学生¥300 島田美術館ホームページ




「武蔵塚」-武蔵塚公園
武蔵が葬られている墓所。大津街道沿いにあり、現在は美しく整備された公園となっている。細川藩の参勤交代を見守りたいと望んだ武蔵は、自身の遺言の通り、 鎧・兜に身を固 めたまま棺に入れられたと伝えられている。命日は正保2年(1645)5月19日(「二天記」より)。また葬儀の最中に晴天であったにもかかわらず突然雷鳴がとどろき、会葬の人々を驚かせたという話は有名である。
●左 武蔵の墓
( 新免武蔵居士石塔の彫り)
【所在地】 熊本市竜田町弓削1232
【TEL】096-337-1260
【交通アクセス】
交通センター12番のりばより楠団地行きバスで約40分。交通センター13番のりばより三里木経由大津行き、または二里木経由武蔵が丘行きバスで約40分。




「泰勝寺跡」 細川家菩提寺
立田自然公園にある細川家の菩提寺、泰勝寺跡。細川家初代・藤孝夫妻、二代・忠興、妻ガラシャ夫人の眠る「四つ御廟」と呼ばれる墓所をはじめ、第十代・斎茲以下の藩主の墓がある。園内の見所には「苔園(こけえん)」、茶室「仰松軒(こうしょうけん)」など がある。ガラシャ夫人の波乱の人生は 有名な話だが、今は深い緑に囲まれ、静寂な空気に包まれている。 この境内の一角に武蔵の供養塔(五輪を象ったもの) が祀られてている。

●この庭園は昭和30年4月1日より熊本市に貸与され、現在は立田自然公園として一般公開されている。

 <細川ガラシャ婦人について…>
「ガラシャ」はクリスチャンネームで、本名は玉(または玉子)という。明智光秀の娘で、16才(天正6年)の時に織田信長の仲立ちで細川忠興の妻となった。天正10年(1582)、父・明智光秀が、全国を平定しようとしていた主君・織田信長を倒すという歴史上の大事件「本能寺の変」を起こし、これにより玉は出生間もない子供からも引き離され、丹後の山里に幽閉された。その後、豊臣秀吉のを得て幽閉を解かれ、忠興と復縁し、大阪城下玉造の細川家屋敷に住むようになった。この頃彼女は心の平安をキリスト教の教えに求め、熱心に信仰し「洗礼」を受けている。その後、豊臣秀吉の死をきっかけに再び天下は乱れ、徳川家康と石田三成の対立が激化した。徳川家康が上杉討伐に兵を起こした際に(忠興も家康に従軍していた)石田三成は大阪城下に屋敷を構える家康方の大名から人質を取ることを企て、諸侯の婦人達に人質になるよう強要し大阪城に入れようとした。ガラシャはこの要求を拒み、"散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ"の辞世の句を残して屋敷に火を放たせ、38歳で最期を遂げた。 慶長5年(1600)7月17日。波乱に富んだ生涯であったものの、常に世の中の平和を祈り続け、日本の歴史に名を残す数少ない女性である。
【所在地】 熊本市黒髪4−610
【TEL】096-344-6753
【交通アクセス】
交通センター12、13番のりばより約15分。 熊本大学前下車、徒歩5分

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各画像は島田美術館、松井文庫の所蔵品でありその管理下にあります。